脳障害を克服した娘のヘイリーのことをブログに掲載して以来、多くの方々から反応がありました。 その理由はさまざまで、もっと情報が欲しい方、障害のある我が子のための道と希望を求めている方、私たちを祝福してくださる方、どうしてそんなことが出来たのか不思議に思っている方、「障害児の母親であることはつらいけれど、子どもたちはそれぞれ素晴らしい」のだからお互いに繋がろうという方々など。 正直言うと、この最後のグループに属する方々には、少々胃が痛くなる思いがするのです。 私自身はそうしたタイプの人間ではありませんし、申し訳ないですが、正直なところこうしたグループには属したくないのです。これまで歩んできた一歩一歩の根底にある目的は、最初からただひとつでした。 毎朝疲れのとれない体を励ましてベッドから出て、従来の概念にはなかったこの治療を続けるために必要な費用を何とか工面しようと努めました。 将来娘のために大学を選ぼうとはしても、施設を選ぶことはないという思いが、私の密かな決意として心の奥深くにありました。 「もう障害者ではない」娘にすること、それが私の夢でした。他の子どもたちと同じことが出来ない娘の将来が見えず、心を悩ませていたことは確かです。苦しんでいる子どもを助けたいと思っている心優しいお母さん方に、私は強い愛と深い尊敬の念をもっています。 他の子どもにはできることが自分にはできないと、ストレスと落胆を感じ、孤独な思いをしている我が子をそのままにしておかないで、そういう子どもがいられる世界を築こうとしているお母さんたちは立派です。 もちろんその気持ちは私には痛いほどわかります。 私も確かにそういう道を歩いていました。 他の子どもがしていることが出来ない我が子の将来はどういうことになるのか、まったくわからなかったからです。 ただ私はそのような世界でグループを作ったり、娘の問題を理解して居場所を与えてくれる世界を探したりするよりも、娘を健常にすることにエネルギーを注ぎたかったのです。このような素晴らしいお母さんたちを見ていると、ヘイリーのことを他人に話すようになってから、私の前に現れてきた人々のことを思い出します。 母親である私に「どこが問題なの?全く普通に見えるわ」と驚いたように言うのです。 ヘイリーが赤ちゃんのときから脳障害だということを知ってから娘に会った人たちもいれば、娘の過去を全く知らない人もいます。こういう人たちに私は「あなたも普通に見えますよ。 インフルエンザに罹ったことがおありのようですけれど、今こうしてお会いしているとまったくわかりませんよ。 完全に回復なさったようですね」と言いたくなりました。皮肉に聞こえることでしょう。 でも、考えてみてください。 私は足首を捻挫したことがありますが、捻挫をしたことのある人間として暮らしているわけではありません。 腕を骨折したことのある人が自己紹介をするときに、わざわざそれに触れることはないでしょう。 こうしたことを、自分の人格の一部だとする人はいないでしょう。 脳の発達の問題についても、同じではないでしょうか。理由をお話しましょう。 一般的には、脳障害を実際に治療しようとしている人はいません。 脳障害は治せると思っている人はほとんどいないのです。 |
|