グレタは緊急帝王切開で生まれました。 羊水を吸引していたことがわかり、かなりの出血があったため輸血が必要でした。 臓器のほとんどは機能していませんでした。 さらに心停止になり、心臓マッサージで蘇生しました。 産声もあげず、呼吸もうまくできませんでした。赤ちゃんの容体は非常に悪く、植物状態のままになるだろうと、ご両親は医師から告げられました。 しかしその後数週間でグレタの状態は改善し始め、大きな進展もいくつかありました。 しかしMRIでは脳に病変部が確認され、脳障害、痙直、精神遅滞の診断がくだされました。いちばん大きな問題は体を動かすことにありました。 腹ばいも、高ばいも、歩くこともできませんでした。 手の動きがぎこちなくて、親指と人差し指でものをつまみ上げることはできませんでした。 明らかな斜視がありました。 熱い、冷たい、痛いなどの感覚がありませんでした。 |
小さなグレタにとって
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ご両親はグレン・ドーマンの著書「あなたの脳障害児になにをしたらよいか(邦題:親こそ最良の医師)」を読み、イタリアのファウーリアにある人間能力開発研究所の支部で開催されたコースを受講しました。 ご両親が家庭でプログラムを始めた時、グレタは生後1歳4か月でした。 運動面の問題ばかりでなく、このときグレタはひとことも話ができませんでした。人間能力開発研究所のコースで学んだことにしたがって、ご両親は家庭で集中的にプログラムを始めました。 まず腹ばいに必要な触覚刺激を脳に与え、そしてグレタを床におき、実際に腹ばいをする機会をたくさん与えました。 知性面のプログラムとして、グレン・ドーマン著の「赤ちゃんに読みをどう教えるか」の本にしたがって、ご両親はグレタに読みを教えました。 これはグレタの大好きなプログラムになりました。 |
世界一の先生であるお母さんに教えてもらう
読みのプログラムが大好きでした |
こうして6か月間プログラムをおこない、ご両親は再び研究所を訪れました。 グレタにとっては初めての研究所訪問でした。 ここでグレタは機能評価を受け、スタッフが作成した新しいプログラムをもらいました。すぐに運動面と知性面での成果が表れ始めました。わずか6か月で、グレタは大きな成長を遂げていました。 腹ばいは毎日60メートルできるようになり、家の中を動き回っていました。 理解力も向上し、2、3段階の指示にも簡単にしたがうことができるようになっていました。 何より目覚ましい進歩は、読めるようになったことでした。研究所から帰って間もなく、グレタは手とひざで体を支えて高ばいをし始めました。 高ばいが移動の手段になり、スピードもついて、自由に動き回れるようになるのに時間はかかりませんでした。 |
高ばいで動き回るのにも苦労しません
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次に研究所を訪問したとき、グレタはすでに1日に400メートルの高ばいをしていました。 家族の名前を言えるようになり、”チャオ“と挨拶ができるようになっていました。 知性面の発達は年齢レベルに追い付き、追い越している分野もありました。 百科事典的知識や算数のプログラムを始められるところまで来ていました。 |
算数を学び始めました
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高ばいができるようになったので、歩くプログラムも始めました。 研究所スタッフは、頭上梯子を使って歩く感覚をグレタに覚えさせることを提案しました。 そして頭上梯子で毎日200メートル以上歩きました。 |
梯子を使って歩く練習を楽しくしました
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グレタと家族は、クリスマスの日に最高のプレゼントをもらいました。
生まれて初めて、グレタが独りで歩いたのです。
歩き始めたグレタは、助けを借りずに独りで部屋の隅から隅まで歩くようになりました。 |
文字盤で自分を表現するという新しい能力を披露しています
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グレタは賢いだけでなく、とても頑張り屋です。 家族とともに毎日努力を続け、信じられないぐらい多くの結果を出しました。 人生のスタートはとてもたいへんでしたし、将来の希望もないと言われていましたが、ご両親はそれにひるむことなく解決策を探し求め、小さな娘に戦うチャンスを与えました。 障害のある子どもが健常になるのを助けるために「親は問題ではない。親は答えである」ということの、素晴らしい一例となったのです。 グレタはまだ完全に健常にはなっていませんが、ほんとうの可能性が開花するように、ご家族とともにさらに努力を続けます。 |
グレタには世界一の「療法士」がついています
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