元気な赤ちゃんだったジョナサン。
発達に深刻な問題を抱えていることに気がついたご両親は何をしたのでしょうか。
お母さんが語ります。
ジョナサンは7年前、予定日がきて生まれました。
発達には特に異常は見られませんでした。
腹ばいや高ばいなどの運動面の発達も、お姉ちゃんとほぼ同じような時に始まり、目と目をしっかり合わせることができました。
手を使うことは、普通よりも早く上手になったくらいです。
最初に何かおかしいと感じたのは、頻繁にぐずったり下痢をしたりしていたからです。
生後8か月ごろ細菌に感染し、症状がかなり悪かったので、小児科医は抗生物質を使わざるを得ませんでした。
1歳になるころには、いつも機嫌が悪そうにぐずっていて、頻繁に下痢をしていました。
時期的に歯が生え始めるころだったので、これらの異常はそのせいだと思っていました 。
ジョナサンが年齢レベルの発達をしていないことが分かりました。
小児科での18か月の健診で、ジョナサンの発達の遅れが初めて指摘されました。
医師からは、ジョナサンと親が過ごす時間を増やし、より多くの刺激を与えるようにと言われました。
年齢レベルから遅れていたのは、言語と対人的な反応と人のまねをすることでした。
ジョナサンを診察した小児科医は、通常であれば2回に分けて行うべき予防注射を1回で接種しました。
ジョナサンはそのとき多動児のような発作的な反応を見せました。
奇妙なこだわりのある行動が始まりました。
最初私たちは、発達が遅れていてもそのうち自然に追いつくだろうと思っていました。
心配する必要はないと思ったのです。
しかしその後2、3か月すると、ジョナサンが同年齢児のレベルに達していないことがはっきりしてきました。
興奮すると、手をひらひらさせたり、つま先立ちで跳びはねたりしました。
3歳になってもまだ言葉は出ませんでした。
とくに目立った問題は、言語でした。
3歳になっても全く言葉が出なかったのです。
聴覚検査を3回受けましたが、聴覚に問題は見つかりませんでした。
しかしジョナサンは話すことができず、機能的聴覚障害があるかのようでした。
いろいろな診断の結果、ジョナサンは自閉症児に早期から働きかけるセラピーを受けることとなり、2歳になったばかりのころから、発達のためのセラピーを在宅で受けることになりました。
一歳年下の子どもでもできるような簡単なことも、ジョナサンにはできませんでした。
間もなく3歳になるころ、ジョナサンはスプーンで食べたり、コップから水を飲んだり、1歳年下のレベルの簡単なパズルもできなくなっていました。
食事からグルテンとラクトースを除去しました。
ジョナサンの消化の問題は続いていましたが、あるとき友人から食物アレルギーの検査を勧められたことが転機となりました。
消化の問題でいちばん疑わしかったのは、グルテンとラクトースでしたので、まずこの二つを食生活から除去して様子を見ることにしました。
成果はすぐにあらわれました。
多動がかなり収まったのです。
これまでの1年と比べても、落ち着きと集中力が増しました。
消化器病の専門家に診てもらったところ、ジョナサンの問題は消化器系の健康状態と関連している可能性が高いとのことでした。
腸内のカンジダが過剰に増殖していて、腸内の細菌フローラが異常な状態になっていたのがわかりました。
腸内の問題は、生後8か月のときに抗生物質による治療を受けたことからきているのでしょうか。
カンジダ感染の治療と腸内細菌フローラの正常な状態に戻すのに、医師は大いな助けになりました。
また、ジョナサンの代謝に様々な問題があることも指摘されました。
ジョナサンの代謝機能を向上させるのに1年ほどかかりました。
さらに早期介入のプレスクールに続けて通わせるのに加えて、運動や言語のセラピーを受けました。
進歩は速まりましたが、十分な速さではありませんでした。
これまでよりも進歩が速まった部分もありました。
それからの1年、私は他の治療やセラピーを受けさせようといろいろと調べました。
そしてあるとき、人間能力開発研究所で「自閉症」を克服した子どものサクセス・ストーリーに出会ったのです。
私たちはフィラデルフィアの人間能力開発研究所で開催された「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講し、その3か月後研究所で初めてジョナサンの機能評価を受けました。
そのとき生活年齢は5歳でしたが、脳の発達年齢は2歳を少し上回るレベルと判断されました。
これに基づいて、家庭でおこなうためプログラムが作成されました。
「刺激と機会」が結果に結びつきました。
プログラムを始めてからのジョナサンの進歩には、ただただ驚くばかりでした。
人間能力開発研究所にたどり着くまでの1年間、私たちはすでに栄養とデトックスのプログラムをおこなっていて、そのためジョナサンの代謝機能が改善していたことも、さらに進歩するのに大きく役立ったと思いました。
それとは気づきませんでしたが、私たちは研究所のプログラムに近づいていたのでしょう。
コース参加後すぐに、従来の言語療法や理学療法はやめました。
特別支援のプレスクールも行かないことにしました。
教育委員会は、私たちの行動に不快感を表しました。
それまでの何週間かでジョナサンが見せた変化に、学校の先生方は興奮気味でしたが、実はその時すでに家庭で人間能力開発研究所のプログラムを始めていたのです。
学校の成績は「ロックスター」なみです。
ジョナサンはいつ特別支援学級に復帰するのかという問い合わせが来なくなったタイミングははっきりしています。
ジョナサンが通っていた学校の先生方、セラピスト、教育専門家のチームが、ジョナサンの能力と知識のレベル評価をおこなった結果でした。
チームによる評価の結果、ジョナサンは正式な審査に通り、その年の9月から幼稚園の普通学級に入れることになりました。
ジョナサンの評価をおこなったチームの一人は「ジョナサンは、学業ではロックスターなみ」であると表現しています。
私たちがジョナサンを学校に通わせなくなってすぐに、特別支援学級から正式に卒業したのです。
以来教育委員会は私たちのホームスクーリングに異議を唱えることはなくなりました。
協調性、読み書きが向上し、変化が見えてきました。
その年の後半の大きな変化は、運動面の協調性が向上したことでした。
ある日運動プログラムをしていたとき、ジョナサンは知性のプログラムで使っていたマジックを拾って、数字を1から100まで記憶をもとに書いたのです。
マジックの持ち方も上手でした。
手を協調して動かすことは、年齢レベルにかなり近づきました。
英語とスペイン語を読むことができ、お姉ちゃんがまだ学校で習っていないような算数の問題も楽しく学んでいます。
現在のいちばんの課題は言語で、とくに人前で話すことが苦手ですが、これも驚くべき速さで進歩しています。
この6か月間で、ジョナサンは自分からお母さん、お父さんやお姉ちゃんたちに話しかけるようになりました。
お父さんが仕事から帰ってくると、その日の楽しかったこと、おかしかったことなどを文章にして、話して聞かせることも多いです。
私は母国語のスペイン語で話しかけることが多いですが、ジョナサンはそのほとんどを理解しています。
ジョナサンは信じられないほど頑張り、私たち家族もこの2年間の多くを注ぎました。
でも、ここまでたどってきたジョナサンの長い道のりを思うと、これからも頑張り続けるための力になります。
この先なにがジョナサンを待ち受けているのか、私たちにはわかりません。
親として当然のことですが、ジョナサンの将来をできる限り明るいものにするために力を注ぐだけです。
今年の夏から、私たちはジョナサンの大学入学のための貯金を始めました。
ジョナサンの名義での貯金です。