21トリソミー ぺぺのサクセス・ストーリー 健常への道を歩む


何事もチャレンジあるのみ

 

妊娠中も出産時もいろいろ問題がありたいへんでした。
生まれてきた赤ちゃんは、染色体検査によって21トリソミー(ダウン症)と判明しました。

時間が経つにつれ、赤ちゃんの発達はすべての分野で遅れていきました。
腹ばいをしないまま、やっと歩き始めたのは2歳半のときでした。
光や音に過敏で、人込みや騒がしい場所ではよく自分の頭を叩きました。
痛みに対する反応が弱く、多動で、医師からは鎮静作用のある薬を処方されました。

やっと言葉が出始めたのは4歳でしたが、このときにはまだ走れませんでした。
健康状態も悪く、慢性的な鼻づまりがあり、アレルギーのため皮膚は炎症を起こしていました。
スワジランドに住んでいたお母さんは、ペペの5歳の誕生日の直前に「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講しました。

家庭でプログラムを始めて3か月したころ、ペペには重要な変化が見え始めました。
薬を使わなくなり、指示に従う能力や行動が大幅に向上しました。
肌がきれいになってきて、慢性的な鼻づまりも解消に向かいました。
この問題が軽減されたことで、朝まで眠れるようになりました。
身体の使い方に協調性が出てきて、生まれて初めて走れるようになりました。
読めるようにもなり、話し始めたら止まらないほどよく話すようになりました。
頭の中には話したいことが山ほどあるのに、言いたいことを全部言うには口の動きがついていけないという状態だったので、聴いている人にはよく理解できないこともありました。

大きな進歩は続きました。
6歳になるころには、1マイルをノンストップで走り、片足跳びも同年齢の子どもたちと同じようにできるようになりました。 
読みは急速にレベルが上がりました。
大きな文字で書いてあれば何でも読めて、読むものの内容は年齢レベルを大きく超えていました。

 

日課のランニングをする6歳のぺぺ

 

7歳、独りでブレキエーション

 

8歳、自転車に乗れるようになりました

 

8歳になったペペは、自転車に乗り、体操ができ、自分の責任分担として独りでお母さんのお手伝いもできるようになりました。

ペペは本当に強い決意を秘めた少年です。
同じくらい強い決意をもったお母さんに助けられ、さまざまな面で向上し続け、年齢レベルを超える成功を収めました。
完全な健康状態を3年間保ったこともそのひとつです。

現在ペペは英語と、母国語であるスワジ語の両方で、大人レベルの市販の本を読んでいます。 記憶力が抜群で、お母さんがすっかり忘れていた昔のことを思い出したりして驚かせることもよくあります。

 

8歳、身なりを整えてに街に出ます

 

ぺぺは起業家になろうといろいろ学んでいます。
9歳のときには、卵を産ませるためにニワトリを飼いました。
続いて鶏肉類の販売を手掛け、さらに住んでいる地域では手に入りにくいオーガニックの野菜を育てて売り始めました。

 

計量は精密でなければいけません

 

科学の世界に興味を持ったのは最近です。
植物がしおれる現象と水の浸透の関係について実験し、それを発表しました。

 

初めての研究論文「スワジランドの文化」が完成

 

人類学に興味を持ち、「スワジランドの文化」と題した冊子を完成させました。
導入部では、この研究をどのような方法でおこなったかをまとめています。

 

  • 参考文献を読む
  • インターネットで調べる
  • 地元の情報を集める
  • 重要な場所を訪れる
  • 写真、ビデオなどの資料

 

この研究の主な目的は、過去にどのような文化が存在したのか、そして自分が立てた仮説が正しかったかどうかを見極めることでした。
ペペはスワジランドの社会で実施されている文化や習慣について、何回か実際に目的地に赴いて現地調査もしました。

いつの日かペペ教授に会えるのか楽しみです。

年齢レベルからかなり遅れ、行動に問題があり、フラストレーションの塊のようだった少年は、お母さんに助けられて、チャレンジ精神旺盛で前向きに、あらゆることを成し遂げる若者になりました。

いかなるチャレンジをお母さんから与えられても、ペペは立ち上がり、それを成し遂げました。
根性があり、高い知性と強さと優しさを備えた若者です。
ぺぺは親にとっても、子どもにとっても素晴らしい手本です。
とくに21トリソミーと診断された子どもの親にとっては、なによりの励みとなることでしょう。