脳梁無形成 ウェイ・シュアンのサクセス・ストーリー


7か月のウェイ・シュアン
食事は経鼻胃管に頼り、筋緊張が弱く
寝返りは打てませんでした

 

お子さんが問題を抱えていることに気づいたのはいつですか。

ウェイ・シュアンは生まれてすぐにICUに入れられ、呼吸を補助するための酸素テントのなかで2週間を過ごしました。
その後HDUに移り、さらに2週間を過ごしました。
私たちは経鼻胃管の扱い方を覚えなければなりませんでした。
退院前には緊急時に備えて、心肺蘇生術の訓練を受けました。

お子さんの診断について、医師からはどういう説明を受けましたか。

脳梁無形成という診断で、脳の右側と左側を結ぶ部分が、妊娠中に正常な発達をしなかったと言われました。

予後について何か言われましたか。
また、それについてどう思いましたか。

この子の状態は良くなることはないと言われました。
その後理学療法士から、筋緊張の弱さは一生変わることはないとも言われました。
私たちはその言葉を受け入れられず、何かこの子を助ける方法はないかと探し続けました。

友人から、シンガポールで「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」というコースが開催されることを聞きました。
私たちはさらに情報を集め、を読み、まず私がコースを受講しました。
次の年には父親も受講し、その3か月後に私たちはウェイ・シュアンを連れて、初めてフィラデルフィアの研究所本部を訪れました。

コースで学んだ一番大切なことは何ですか。

なによりも重要だと思ったのは、ウェイ・シュアンの状態は脳障害の症状であり、プログラムによって改善が期待できるということでした。
私たちは正しい道を見つけたと心から確信しました。

何らかの変化が見えたのは、どのくらい経ってからですか。

腹ばいすることの感覚をウェイ・シュアンに体験させるために、触覚プログラムから始めました。
2か月後、息子が初めて頭を持ち上げるのを目にしました。
それまでの3年間では、できなかったことでした。

 

フィラデルフィアの研究所本部を初めて訪れたとき
運動面のプログラム副ディレクター
ルミコ・イオン・ドーマンが
機能評価を行いました

 

奇跡1 
これまでのあらゆる予測を覆して
生まれて初めて腹ばいをしました

 

奇跡2 自力で高ばいをしています

 

幼くして読めるようになりました
お母さんの手作りの本を読んでいます
手作りの本は数百冊にもなりました

 

奇跡3 ついに頭上梯子を使って立ち上がりました

 

奇跡4 
立っているだけなく
頭上梯子を使って自力で歩いています

 

ウェイ・シュアンは次のように言っています。

「3歳半でプログラムを始めました。
その時の僕は、あまりよく見えない、あまりよく聞こえないという状態でした。
家族の笑い声が聞こえると、僕のことを笑っていると思って泣きました。
周囲で何が起こっているのかわからなかったのです。
でも今は、3か国語で読むことができます。
それは偶然の結果ではなく、集中プログラムをおこなった結果なのです。
現在は法律関係の本を3か国語で読んでいます。
脳障害児はみんな、読めるようになるはずです。
それも、読むことが得意になれるのです。
僕は速読で読んでいます。
僕の読み方があまりにも速いので、母はついてこられません。
ページをめくるのが遅すぎるのです。
僕は読んでしまったページから顔をそむけます。
知性面のプログラムを一貫しておこなったなら、どんな子どもも絶対に僕のようになれるのです。
本当です。
僕の夢は弁護士になることです。
だから法律の本を読んでいるのです。」

プログラムを全体的に見てどう思いますか。

素晴らしいけれど大変なプログラムです。
でも、効果があります!
このプログラムをおこなわなかったら、息子はここまで来られなかったでしょう。

ウェイ・シュアンの現在、そして将来についてどう思っていますか。

現在息子がしていることは、私たちには想像さえできなかったことです。
まだこの先の道のりが長いことも確かです。
いつの日か息子が自立し、夢を実現することを願っています。

脳障害児をもつ家族にアドバイスするとしたらどんなことですか。

「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講することです。
回復への近道はありません。
プログラムをしっかりと、根気よくおこなうこと。
そうすれば結果はついてきます。
どんな小さなことでも、あらゆる成功を喜び、大切にすることです。

人間能力開発研究所のスタッフは、脳に障害を受けた子どもたちについて長年の経験を積んでいますが、それだけでなく、子どもたちに心をささげています。
脳障害児がよくなるための助けを求めるならば、この人たちほど頼りになる存在は他には見当たりません。

 

ひと時たりともそばを離れなかった
献身的な家族とともに

 

ウェイ・シュアンは、今もさらに良くなるための意義ある戦いを毎日続けています。
病弱で、口から食べることはできず、食物アレルギーもたくさんありました。
命の危機もありました。
動いたり、理解したり、コミュニケーションをとることができるようになるという予測はありませんでした。

 

 

生後2歳10か月で初めて研究所で機能評価を受けたとき、担当のスタッフが「大きくなったら何になりたいか」とウェイ・シュアンに訊きました。
彼は「弁護士」とはっきり答えました。
それは今でも変わらず、彼は判例法の勉強をしていますし、自国シンガポールの法律についてはかなりの知識をもっています。

法学の学位を取得するには、さらにいくつかの大きな奇跡が必要です。
しかし努力と決意によって奇跡が起こせるならば、ウェイ・シュアンとご両親、お兄さんには、それを実現する方法はすでにわかっています。

健常への道を自ら切り拓きながら、ウェイ・シュアンは多くの脳障害児とその家族に希望を与えているのです。

本当に頑張りましたね、ウェイ・シュアン。
この旅の次の駅は・・・・・歩くこと!