遺伝子異常 ルーダムのサクセス・ストーリー


ルーダムのお母さんが生まれてからの経過について話してくれました。

生まれたときは元気で健康な赤ちゃんでしたが、生後7か月のころルーダムに大きな問題がいくつも見つかりました。
問題の原因は解明されませんでしたが、非常にまれな遺伝子異常の影響を受けているようだと言われました。生後2か月のころ、ルーダムの右腕が左腕に比べて動きが悪いことに気付きました。
私自身何が心に引っかかったのか、いまだにこれと言うことはできないのですが、とにかく右腕をあまり動かさなかったのです。
それでも私は右腕の動きに問題があるとは思っていませんでした。
便秘がひどいことも心配でした。
生後11週間の時に息子を連れて病院に行ったところ、心配はいらないと言いながらも、医師はていねいに診察し、何も問題はないときっぱり言ってくれました。
その後4か月になった息子を連れて再びその医師を訪ねたところ、45分ほどもかけて診察してくれました。
そのときも、心配はいらないと言われました。
その年、9月と10月の2か月間息子を観察し続けた私は、このままだったら自分はパニックを起こしかねないと感じていました。
どこが悪いのかはっきりわからないまま、必死になって理由を探しながらも、そのうちにこの心配は取り越し苦労だったと思えるようになると自分に言い聞かせようとしていました。最終的に専門医に診てもらいました。
息子を診て5分と経たないうちに、医師の口から爆弾が投下されました。
左目に皮質盲があり、視神経の形成異常がみられ、全般的な発達がかなり心配されるというのが医師の見解でした。診断が下されてからの2年間に、子どもの発達の専門家を訪ねて、私たちは4回英国へ行きました。
息子の成長と発達の助けになるならば、どんなに大変なことであろうとも、あらゆる手を尽くす覚悟はありました。
そのプログラムをおこない、すぐにいくつかの進歩が見られました。
聴覚が劇的に向上し、1歳3か月で寝返りを打つようになり、支えなしで座っていられるようになりました。
しかしながら、プログラム開始後数か月経たないうちに、あまり進歩がみられなくなってきました。
もっと息子の状態に即した、もっと専門的な、もっと強力な何かが必要なことは明らかでした。
私は人間能力開発研究所に連絡をしました。
1か月後フィラデルフィアで「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講しました。
ルーダムとともに歩む人生の方向転換の瞬間でした。
それ以来私たちはひたすら前を見て進んできました。人間能力開発研究所による機能評価を受けてから1か月ほどで、ルーダムは初めて腹ばいができるようになりました。
最初は傾斜板の上で動き、その後平らな床に移行しました。
この環境にいることは、大きな変化をもたらしました。
ルーダムは姉妹に関心を示すようになり、ルーダムの機能が向上するにしたがって、姉妹のルーダムに対する関心も強くなっていきました。
脳の発達プログラムとして
読みを楽しんでいます
プログラムを始めて1年経たないうちに高ばいをし始め、現在では自分で高ばいの姿勢をとって進むことができるようになりました。
今、フィラデルフィアの研究所への3回目の訪問を終えて帰ってきたところです。
生まれて初めて独りで歩けるようになるための第一歩として、頭上梯子を使うようにという指示が出ました。
新しい大きな目標です。
愛する息子が前進し続けるための道のりです。
ついに自らの足で立ちました
新たな旅へ次の行き先は「歩く」こと
プログラムを始めようかどうしようかと思っていらっしゃるすべてのすべてのお母さん、お父さんに、両手でしっかりと機会を捕まえ、手に入ったことをすべて投入しましょうと言いたいです。
あらゆることをして、振り返った時に「全部やった」と思えれば、後悔はないでしょう。
わが子の発達を助けるために、自分にできることはひとつ残らずやった、子どもの最大限の可能性に働きかけた、そう思えたら、後悔することはありません。
リベリア共和国の大統領となったエレン・ジョンソン・サーリーフはこう言っています。「見ている夢を怖いと思わないならば、その夢の大きさが足りないのです。」

 

ぜひ夢をもちましょう。