現在のザック
魅力的で賢く、決意に満ちています
「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講後、ご両親は何を期待するでしょうか。
脳障害のわが子を救うためのプログラム?
他の親御さんとの支え合い?
人間能力開発研究所のスタッフの指導?
脳の働きについての知識と深い理解?
そのすべてです。
それは確かですが、コースで得られたことのなかで最も大切なのは、希望が見えたこと、あるいは消えかけていた希望がよりはっきりと見えてきたことと言う方がたくさんいます。
未熟児で生まれたそのときから
ザックの苦難は始まりました
これはザックの生い立ちの記録です。
予定日より35日早く生まれました。
生まれて72時間経たないうちに、黄疸が出ました。
入院は4週間に及びました。
お母さんはそのころのことを次のように述べています。
「1歳になっても、ザックは同い年の子のようには発達していませんでした。
私たちは心配になり、医師の助けを求めました。
小児科、神経科、遺伝科など、さまざまな専門家に相談しました。
医師たちの見解は、問題はあるけれど、ザックの症例は非常にまれなもので、医学的にできることはあまりない、ということでした。」
かわいいわが子を助けることができないなんて
納得がいかないとご両親は思いました
「様々な検査をしましたが、ザックに診断名が出るまでには長い時間がかかりました。
与えられた診断は劣性小脳性運動失調というものでした。
治療法はなく、理学療法と言語療法を受けながら状態を見守りましょう、と言われました。
将来歩けるようになるのか、話せるようになるのかについては、はっきりした予測ができませんでした。
私たちの希望は絶たれました。
勧められた療法をしばらく行いましたが、ザックにはほとんど変化がみられず、親としてますます挫折感が増すばかりでした。
私たちは何か他の道はないかと探し始めました。」
お母さんが「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講したとき、ザックは4歳でした。
お母さんの言葉は続きます。
「ザックの将来には希望がある、この子の人生を変えることができると、私は自分に言い聞かせました。
脳は使うことで成長する。
適切な頻度、強度、継続度をもって脳に刺激を与えれば、わが子の可能性に限界はない。
これを聞いただけで、私たちには十分でした。
私たちは、どんな大変なことでもするつもりでした。
ただ、どうしたらザックを救えるのか、その知識がなかったのです。」
当時ザックは4歳になっていましたが、歩くことはできず、高ばいをしていました。
手を使う機能は7か月レベルでした。
知的には3歳程度まで成長していました。
コース参加後、ご両親はしっかりした内容のプログラムを作成しました。
その中には酸素量強化、栄養、触覚刺激のプログラムも入っていました。
運動プログラムにはたくさん高ばいをすることが含まれ、知性のプログラムでは読めることを目指しました。
運動部門の副ディレクターで
ザックの担当スタッフ
るみ子・伊音・ドーマンと
コース参加後7か月経って、ザックはご両親と一緒に人間能力開発研究所を訪れ、スタッフに会い、機能評価を受けました。
すでによく読めるようになっていたザックは、この最初の訪問で読みのヴィクトリーを獲得しました。
スタッフによって新しいプログラムが作成され、ザックはさらにプログラムに励みました。
前庭器官に働きかけるプログラムの指導
小脳の機能を発達させます
大きな文字の手製の本を楽しんで読んでいます
最近研究所を訪問したときには、ザックは100メートル歩けるようになっていました。
お話を聞かせるのが大好きで、自分の思いや意見を表現しています。
自分が言うことを書き留めてほしいと、お母さんに頼むこともよくあります。
睡眠時無呼吸があったのですが、現在はしっかりと深く眠ることができています。
ザックのお母さんのアドバイス
「できるだけ早くプログラムを始めることをお勧めします。
見守っているだけでは、子どもの発達を助けるための貴重な時間を失うことになります。」
ここをクリックすると、ザックと幼い妹が
一緒にプログラムをおこなっている ビデオが見られます |
ザックはまだプログラムを卒業するには至っていませんが、ここまで来るのは長い、長い道のりでした。
現在のザックの成長は年齢レベルを超えた分野もいくつかありますし、その他の分野でもかなり同い年の健常児レベルに近づいています。
6年前の医師の予測は覆されたのです。
ザックと、献身的にプログラムをおこなったご両親にお祝いを申し上げます。
愛する息子を助ける手立てはないとは思わなかったご両親です。
ご両親のあきらめない強い心と頑張りに助けられて、ザックは自らのものとすべき豊かな人生を手に入れたのです。
ザック、これからも戦い続けてください。
応援しています。