ウイルス性脳炎による脳障害 きりんちゃんの サクセス・ストーリー


 

きりんちゃんはほとんどの機能を失いました
医師の言葉は受け入れがたいものでした

すくすくと育っていたきりんちゃんは、生後1歳3か月で突然病気になり、発作を繰り返しました。
病院に駆け込み、髄液の検査とCTの結果、ウイルス性脳炎と診断されました。
抗けいれん剤が投与されたものの効果はなく、その後3日間は昏睡状態でした。
昏睡から覚めたきりんちゃんは、見る、聞く以外のほとんどの機能を失っていました。
予後に希望のある言葉を、医者から聞くことはできませんでした。

お父さんが記憶をたどります。
「医師からきりんを受け取りましたが、何の反応もありませんでした。
腕や脚はぐったりしていて、首もぐらぐらでした。
全く動きませんでした。
医師からは、命を取り留めるだけで精いっぱいでした、と言われショックでした。」

娘を救おうと必死だったご両親は、人間能力開発研究所が出版している本を見つけ、手に入る限りのものを読みました。
研究所のビデオもすべて見ました。
こうして学んだことをもとに、きりんちゃんのための治療プログラムをつくり、退院してから2週間後にプログラムを開始しました。
この時点できりんちゃんは、見たり聞いたりはできましたが、全く動けず、手を使うこともできませんでした。

 

 

運動プログラムもご両親と毎日おこないました

家庭でプログラムを始めて1か月後、きりんちゃんは腹ばいをし始め、5か月経たないうちに高ばいをし始めました。
6か月後、ご両親は神戸でおこなわれた「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講し、コース参加後は家庭でのプログラムをさらに強化しました。

ご両親のコース修了の1か月後、病気を発症してからは1年経たないうちに、きりんちゃんは歩き始めました。
ご両親は東京でのレクチャーシリーズも受講し、その3か月後にきりんちゃんはフィラデルフィアの本部を初めて訪れることになりました。
ご両親の全身全霊の努力によりきりんちゃんは歩き始め、短い文章で話せるようにもなっていました。
小さなものをつまみ上げることにも成功し、発作はすっかりおさまっていました。

健常への道をさらに進むために 

人間能力開発研究所のスタッフが作成するプログラムには、栄養、酸素量強化、運動と知性面で働きかけるプログラムが加わりました。
抗けいれん剤を慎重に除去していくためのプログラムもありました。
研究所から受け取ったプログラムを家庭で始めてから6か月すると、きりんちゃんの理解力は年齢レベルに追い付き、その後まもなく抗けいれん剤の服用を止めることができました。
家庭でおこなうプログラムはさらに高度に、幅広いものとなり、走れるようになること、手の機能が大幅に向上すること、勉強の面では学年レベルあるいはそれ以上になることがゴールとして与えられました

ホームプログラムを3年間おこなった時点でのスタッフによる機能評価では、6歳になったきりんちゃんは、何学年か上のレベルの本を読めていました。
毎日1ページ、100文字ぐらいの長さの日記を書き、詩も書き始めていました。
3.2キロをノンストップで走り、ブレキエーションは1日に50回おこない、体操も始めていました。
同年齢の他の子どもたちを上回るスタミナを身につけ、健康状態も非常に良好でした。
理解力と言語の能力は、年齢レベルを超えていました。

同年齢の子どもたちと一緒に学校に通うチャレンジ

 

3.2キロをノンストップで走ります

ご両親と研究所スタッフは、きりんちゃんは同年齢の1年生の子どもたちと一緒に通常学級でやっていけるところまできたと判断しました。
その後1年間のきりんちゃんについて、学校からの評価はあらゆる面でとてもよく、読むことと書くことに関しては学年レベルを超えているとのことでした。
他の子どもたちがひらがなで書いているときに、漢字を使って書いていました。
作文では優秀賞を二回も受賞しました。
エレクトーンも習い始めました。

運動もしっかりと続けました。
縄とびが大好きで、水泳も練習し、得意だった体操も続けました。
社会性の面では、クラスのなかで友人をたくさん作り、さらには上の学年や、下の学年の子どもにもうまく接することができました。
幼稚園生の面倒をみたり、一緒に遊んであげることも上手でした。
学校の通信簿には、「自己管理がしっかりとしていて、常に前向きであり、何につけてもがんばる子どもである」という先生の言葉が書かれていました。

翌年の春、きりんちゃんは2年生になりました。
引き続きあらゆる面で成功を収め、年齢レベル以上の能力を発揮する分野もありました。
この素晴らしい進歩が認められ、きりんちゃんは人間能力開発研究所の集中プログラムから正式に卒業しました。

 

プログラムを卒業しました
ご両親、担当スタッフの中谷内美紀
所長の
ジャネット・ドーマン

中学ではクロスカントリーのランニングチームにも入り、短距離走も得意でした。
毎日夕方遅くまでトレーニングをしました。
高校には運動のクラブがなかったので、写真部に入り、写真作品は県で賞を獲得したこともあります。
健康で、何事もしっかりとこなし、学校は皆勤賞でした。

東京での独り暮らし

現在きりんさんはホテルビジネスに関する専門学校の1年生です。
東京では生活費がかさむので、夜はすし店でアルバイトをしています。
大都会での独り暮らしは初めての経験ですが、目標を達成するために頑張っています。
自分で決めたことは実行し、決してあきらめません。
現在の夢はウェディングプランナーになることです。

 

将来のキャリアを胸に、頑張っています

一時は命の危険さえありました。
ほとんどの機能を失っても、決意と、人生を取り戻すために闘うという強い意志は失っていませんでした。
ご両親は、再び健常になるために闘うチャンスを娘に与えたのです。
今きりんさんは、持てる力を最大限に開花させ、達成感に満ち、世の中に貢献できる人生を楽しむ道を歩んでいます。

きりんさん、お母さん、お父さん、ほんとうによく頑張りましたね。

 

受賞した写真作品