「お子さんは普通の子どもには
なれないでしょう」という医師の言葉は
その通りだったのでしょうか
障害との戦いのなかで日々進歩していきました
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妙さんの人生は、普通に始まったとは言えませんでした。 妊娠6か月目に流産の危険がありましたが、何とか臨月まで持ちこたえました。 しかし産声をあげられず、体全体の血色が悪く、発作が始まりました。 赤ちゃんには脳障害があり、通常の発達は期待できないだろうと、ご両親は医師から告げられました。生まれてから1か月、赤ちゃんはあまり動きませんでした。 腹ばいや高ばいをし始めても、ぎこちなくしかできませんでした。 2歳近くまで歩けず、その後歩き始めても、右足は内側を向き、左足はつま先立ちでした。 |
生まれてから数年はたいへんでした
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妙さんが4歳になったとき、抗けいれん剤が処方され、同年齢に追いつくようにと理学療法も始まりましたが、何をしても思わしい成果は見られませんでした。話し始めたのは2歳のときでしたが、8歳になるまで文章で話すことはできませんでした。 |
同年齢の子どもよりすべての面で遅れていました
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小学校に通っていましたが、8歳のときには読みや理解力はクラスのレベルから2年分遅れていました。 書くことはどうにかできましたが、とても苦労していました。 運動面でも他の子どもよりかなり遅れていて、その差は日を追って大きくなっていきました。妙さんの9歳の誕生日の直前に、ご両親は「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講しました。 コースの期間中にお父さんが次から次へと限りなくスタッフに質問してきたことを、私たちはよく覚えています。 この家族は幼い娘に変化をもたらすに違いないと、私たちは確信していました。何百メートルもの腹ばいや高ばいを含む運動プログラムに加え、2か国語で読みのプログラムをおこない、栄養のプログラムもしっかりとおこないました。 その後まもなく、妙さんは人間能力開発研究所を訪れて機能評価を受けたのですが、ご両親がコースを修了してから家庭でしっかりとプログラムをおこなっていたので、妙さんにはすでに進歩が見えていました。運動面のプログラムでは、3キロを走り、体操もできるようになってきました。記憶力、読み、算数、書くことなど、すべてに目に見える進歩がありました。 毎日合計90分読書をし、走り方がより自然になり、視覚の収束(見る対象に焦点を合わせる能力)も改善しました。 生まれて初めてボールをキャッチすることができたのもこのころです。 話のつじつまが合うようになり、声も大きくなりました。 抗けいれん剤の服用をやめることができて、発作からも解放されました。 毎日していたランニングのプログラムは
妙さんはご両親のもとでプログラムを続け、6か月ごとに研究所スタッフの機能評価を受けました。
体操の能力も優れています
帰国してからは、物語を創作し、コンピュータのプログラミングを学び、バレエの稽古も始めました。
レクチャーシリーズでは
研究所のプログラムを続けながら学校の勉強も手を抜かず、高校入試を目指して頑張りました。高校生となった妙さんは、充実した高校生活を送る間に、独りでカナダへの留学も果たしました。
高校生の妙さん
高校ではとくに国語と英語が得意だった妙さんは、卒業後大学に進学しました。大学卒業後、社会福祉の分野で仕事をしている間に、同僚と結婚することになりました。
結婚の記念写真
幸せそうな新郎新婦です
現在妙さんは二人の子どもの母親です。
経験は次々と繋がっていきます 妙さんは自分の子どもに 教えることを楽しんでいます |