ブロディ―の旅は妊娠23週目で生まれたところから始まりました。
私たちの小さな、小さな未熟児は、生まれたときの体重が510グラム、身長は30センチ強でした。
極小未熟児で生まれ、その後も予測される多くの問題に目を向けるよりも、この子がこんなにも小さな状態で私たちの手に委ねられたという信じがたいほどの奇跡が私たち夫婦には大切でした。
医師からは何と言われましたか。
生きて生まれる確率は5%だと言われました。
生きて生まれたとしても、肺が十分に発達していないために自発呼吸ができないので、酸素を供給するための管を挿入しなければならないが、それができるかどうかわからないとも言われました。
生まれてからの72時間は、必要な酸素をどのようにして与えるかにかかっていました。
生後3日目、ブロディ―の血球数が大幅に低下したため、新生児集中治療室(NICU)のチームは脳の超音波検査が必要と判断しました。
すぐに私たちはブロディ―の状態の説明を受けました。
脳の両側にグレードIVの脳室内出血があり、水頭症を発症しているとのことでした。
手術をするにはあまりにも身体が小さかったので、この子と一緒に過ごせる時間はわずか数日になるかもしれないと思うしかありませんでした。
11日目、祈りながら待ち望んでいた日が来ました。
奇跡の子ブロディ―をこの手に抱いたのです(カンガルーケア)。
その日から毎日数時間これを続けることにしました。
親と子が直接に肌を合わせることは、ブロディ―にとっていちばんよいヒーリングなのです。
NICUで過ごす時間は数週間が数か月になり、148日にもなりましたが、ブロディ―は素晴らしい戦士でした。
脳、目、口唇裂、左右両側のヘルニアなど、5回にわたる様々な手術に耐えたのです。
ブロディーが抱えた問題の大きさを理解したとき、あなたはどう受け止めましたか。
毎日知らないことがたくさんでてきて、さまざまな数値の報告を受けました。
明日はどうなるか、ブロディーの状態がどちらの方向へ向かうのか、医師たちにもわかりませんでした。
とにかくブロディーになにが起こるか分からなかったことは確かです。
NICUで過ごす間に、15種類を超える診断と症状が告げられました。
ブロディーが家に帰ってくることを考えたら、ここであきらめる理由はまったくない、ということだけは確かでした。
「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースで学んだ最も大切なことをひとつだけ挙げるとしたらなんですか。
ブロディーが生まれた瞬間から、私たちがコースに参加するまで、「私の息子は脳障害」ということは一度も口にしたことはありませんでした。
ためらっていたからではなく、脳障害とは何なのか知らなかったからです。
脳障害の子どもたちは、少なくとも健常な子どもたちと同じ可能性をもっています。
息子が生まれたとき生存の可能性5%と言われましたが、脳を成長させる機会をたくさん与えることによって、息子には95%の可能性があると言ってもいいのだとコースで学びました。
同じような問題を抱えた子どもの親御さんに、何かアドバイスがありますか。
大きなショックが収まったら、日を追うごとに新しい力とよろこびが生まれ、決意はこれまで以上に強くなりました。
脳障害は人生の旅のなかの経験であり、より良い未来を手にする可能性があることを、子どもが教えてくれます。
そしてそれは私たちの心と手の中にあるということです。
これまでのブロディーの進歩についてどう感じていますか。
8か月前にプログラムを始めてから、ブロディーの成長は速度を増し、前よりもたくさん重要なことを成し遂げてきました。
ブロディーが一日も欠かさず頑張っている姿を見ると、わくわくする気持ちを抑えられません。
この6か月で、ブロディーは読み、言語、腹ばいのヴィクトリーを獲得したのです。
ブロディーは生まれたその日から、この世に足跡を残す決意を見せてくれました。
皆さんの息子さんも、娘さんも、ブロディーと同じです。
子どもたちに輝くチャンスを与えましょう。
奇跡は毎日起こるのですから。