精神遅滞、精神薄弱、情緒障害、失読症 ジョシュアのサクセス・ストーリー 脳が回復するのに遅すぎるということはない ジョシュアは25歳で人生を変える旅に出た


 

 

ジョシュアとお母さん

 

難産で胎児の心音が感知できなくなり、命の危険にあった赤ちゃんはすぐに保育器に入れられ、酸素を投与されました。

 

生きるために戦っている我が子に
お母さんはぴったりと寄り添って励まし続けました

 

生まれたその年、成長ホルモン欠乏、甲状腺機能障害、下垂体腺萎縮などの診断がジョシュアにくだされました。
泣いてばかりいる赤ちゃんでした。

「最初の1年、私と夫はいちども一緒に夕食を食べたことがありません。
泣いているジョシュアを、交代で抱いていたからです」とお母さんは振り返ります。

 

ジョシュアの人生の最初の1年間は困難の連続でした

 

次から次へと医師の診察を受けましたが、いつも暗い予後を告げられました。
赤ちゃんが正常に発達する可能性は無きに等しいと、ご両親は言われ続けました。
ジョシュアには精神遅滞もあるという診断がくだされました。

2歳になるころには、成長ホルモンの投与が始まっており、低血糖症の治療も必要でした。
全体的な成長はとてもゆっくりでした。

 

運動面の発達も非常に遅れていました

 

4歳になるまで、歩きませんでした。
やっと歩き始めても、しょっちゅう部屋の壁にぶつかりました。
目がきちんと見えていなかったせいなのですが、その問題は治療不可能と診断されました。

当時を振り返ってお母さんは言います。

「ジョシュアがぬいぐるみの人形のように感じられる日が何日も続いたこともありました。
医師も、教師も、心理学の専門家も、どこに問題があるのか説明することはできませんでした。」

後になって、ジョシュアにはてんかんの欠伸発作があることがわかりました。

特別支援学校に通いましたが、読む、書く、話すなどは苦難の連続でした。
手を上手に使えないし、ほとんど走れませんでした。
人ごみは苦手で、家庭以外の場所では独りでいることは危険でさえありました。

ジョシュアには精神遅滞、精神薄弱、情緒障害、失読症の問題があると、ご両親は告げられました。
「植物状態」なのだから、施設に入れるべきだとも言われました。

ご両親が人間能力開発研究所のことを知った時、ジョシュアは25歳になっていました。

25歳になったジョシュアについて、お母さんはこう書いています。

「特別支援学校に通い、週の半分は学校の寄宿舎で過ごし、あとは家で過ごすという状態でした。
何も教えてくれないこの学校から息子を引き取って、私たちが家庭で教えることに決めました。
人間能力開発研究所の存在を知ったのはこのころでした。」

頑張るつもりがあるならば、知性面でも運動面でも今よりずっと良くなる可能性があると、お母さんはジョシュアに説明しました。
ジョシュアの答えは「YES」でした。
ご両親が「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講してから、家族は新しい旅に出たのです。
愛情と、決意と、たくさんの希望にあふれた旅立ちでした。

 

研究所を訪れたジョシュア
グレン・ドーマンとひと時を過ごしました

 

家庭で脳の成長と発達のためのプログラムを1年間おこなったジョシュアは、誰の目にも良くなっていることが明らかでした。
ジョシュアに合わせた栄養のプログラムと酸素量強化のプログラムを含む生理面のプログラムをおこいました。
腹ばい高ばい、歩く、走るなどを通じて脳を基本的に発達させるために、いろいろな運動面のプログラムも同時に進めました。
また、読むことや書くこともたくさんして、さらに新しいことを学ぶための知性面のプログラムもおこないました。
お母さんは別人のようになった息子のジョシュアについて、次のように書いています。

「身体的にも大きく変わりました。
まっすぐ座っていることもできず、短い距離しか走れなかったのですが、今は筋肉もついてしっかりした身体になりました。
現在では上り坂1キロをノンストップで走れるようになりました。
他人と目を合わせることもできるようになり、自信がついてきました。
独りでいても安全ですし、複数の指示にも容易に従えます。
言葉がはっきりしてきましたし、語彙の幅も広がりました。
行動も落ち着いてきて、英語でもフランス語でも、読んだり書いたりを楽しんでいます。
生まれて初めて、自作の物語を二つ書きました。」

ジョシュアが30歳になるころ、お母さんはこう言っていました。

「とてもうまくいっています。
5キロをノンストップで走り、地元のマラソン大会に出場しようと準備しています。
少なくとも週に一回は3時間のマラソンをしていますし、その他にも水泳、ダイビング、スキーなども楽しんでいます。」

 

身体もしっかりして、たくましくなりました

 

「読んでいる本は大人のレベルです。
歴史、地理、科学、数学、美術を学び、コンピュータの問題の解決策を学び、その間にタッチタイピングも身につけました。
自分で何とか解決したいから手伝わないでほしい、といつも言っています。
誰かが助けてくれるのを待つばかりで自分では何もしようとはせず、自分でできることがあるとは思っていなかったころとは別人のようです。」

 

時間さえあれば書くことを楽しんでいます

 

お母さんの報告は続きます。

「ジョシュアは、地域でボランティアをしています。
自分がかつて経験したような苦労をしている人への思いやりの気持ちにあふれているからです。」

 

ボランティア活動にも積極的にかかわっています

 

お母さんが最新情報を届けてくれました。

「ジョシュアは親類や友人に会うために独りでヨーロッパやアメリカへ旅行しています。
私たちは大好きな美術や絵画により多くの時間を使っています。
地域の文化的な催しにも、前より頻繁に参加するようになりました。
ジョシュアの絵画作品にはかなりの注目が集まっており、個展のあと作品が売れるようにもなりました。」

 

ジョシュアの作品はカラフルでダイナミックです

 

ジョシュアの作品は人気を集めています。
最近の個展では150作品を展示し、その半分はすぐに買い手がつきました。

芸術家としても名前が知られるようになり、家族や友人に囲まれて、豊かな人生を送っています。
子どものころからずっと他人に頼って生き、その将来は限られていると言われていたジョシュアは、長い道のりをたどってここまで来たのです。

 

《村の風景》カンバス 2015年7月の作品
粉末塗料とアクリル溶剤を混ぜて塗った紙を
小さく切ってコラージュしたもの

 

がんばっても何も得られなかった空回りの25年が過ぎた後、ジョシュアとご両親はチャンスをつかんで、ほんとうの人生を手に入れるために闘いました。
遅すぎるといってあきらめる必要は全くないことを、ジョシュアは証明したのです。

人間の不屈の精神と、人間の素晴らしい脳は、強力な、そして無敵の組み合わせです。

「絶対にあきらめない。」

これは簡潔ではありますが、脳障害の子どもたちが健常になるために戦っているすべての人々にとって、深い意味をもつ教訓です。