生まれてきた子どもに何か問題があるかもしれないと気づいたら、どうしますか。
アナ・ソフィアのお母さんは、子どもの顔つきや、筋肉の緊張が弱いことが、他の子どもと少し違うことに気づきました。
医師はアナ・ソフィアが21トリソミーであると告げました。
その時の気持ちを振り返ってお母さんは言います。
「それに続く医師の言葉は耳に入らず、いま聞こえてきた言葉だけが何回も耳の中で響いていました。」
「娘がたった今息を引き取ったと言われたような気がしました。
娘について想い描いていたこと、夢や希望も消え去ったのです。
何が起こっているのか、理解できませんでした。
大きな怒り、強い恐怖、このうえない挫折感、深い落胆、そして大きな罪悪感を感じていました。」
この戦いに負けるわけにはいかない。でもどこから手を付けたらいいのか、どの方向に進んだらいいのか、わかりませんでした。
幸運にも多くの医師が希望を与えてくれました。
そのお陰であきらめずにすんだのです。
お母さんの進む道の行く手には人間能力開発研究所がありました。
ある日お母さんは世界一のプレゼントをもらいました。
グレン・ドーマンが書いた本「親こそ最良の医師」です。
お母さんが「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講したとき、アナ・ソフィアは生後6か月でした。
「大変でしたが素晴らしいコースでした。
娘を助けるための知識に満ち溢れ、いつまでも続いてほしいとさえ思いました。
学ぶことがたくさんあって、時間が足りないくらいです。
私は新しい世界を発見したのです。
講義の言葉はわかりやすく、医学的な専門用語もそれほどたくさんではありません。
人間の本質についての話と、娘のためにとても役に立つプログラムについての話がほとんどでした。
心の中の不安が消えていきました。
希望がある、私はついに手段を手に入れた、そしてここで得た知識を使ってプログラムが始められる、すぐにでも始めたいと思いました。」
お母さんがこのコースで得たものは、二つの言葉に凝縮されています。
愛と希望です。
アナ・ソフィアとお母さんは、研究所スタッフが作成したプログラムを家庭でおこない、1歳8か月になったときには、アナの発達年齢は年齢レベルを4か月上回っていました。
大きな文字で書いた手製の本の内容は7歳レベルでした。
理解力は年齢レベルを大きく上回りました。
言葉も出始め、単語は少なくとも20語、加えて二語文やフレーズもいくつか使うようになっていました。
毎日400メートル高ばいをして、自力で歩けるようにもなってきました。
「本人が望むなら、大学にも行けるでしょう。
将来への選択肢は数えきれないほどあるのです。
なにを選んでも十分にやっていけると今は思えます。
プログラムを始める前は、選択肢などありませんでした。
あるのは恐れと不安だけでした。」
「アナ・ソフィアは素晴らしい能力を身につけ、自信に満ちています。
私は娘を誇りに思う、幸せな母親です。
娘からは、毎日さまざまなことを学んでいます。
娘を見ていると、恐れる理由はないことがわかりますし、何よりも大切なのは、娘が私をより良い人間へと導いてくれることです。」
脳障害児をもつお母さん、お父さんへのアドバイスを聞きました。
「あなたは独りぼっちではありません。
あきらめないで。
希望はあるのです。
進む道は思ったよりも厳しいかもしれません。
毎日が大変な日々になるでしょう。
でも子どもがほんの少しでも何かを達成したならば、どんなに小さなことであっても、そのことに素晴らしい価値を見出すことができるでしょう。
あるとき私の叔母が言いました。
『このプログラムは1日26時間かけてやるものなのよ。』
まさかと思いましたが、今は確かにそうだと思えるようになりました。」
「それどころか1日28時間かかるのです。
でもそれだけの価値があります。
涙を流すたびによろこびを覚えます。
否定的な言葉には耳を貸してはいけません。
もっと良い方法がある、あなたのやっていることは間違いだらけだ、あなたは何も知らないのだ、などと言う人は数限りなくいるでしょう。
私はそういう人たちの言葉を聞かないことにしました。
プログラムだけを見ていくことにしたのです。
何か疑問が生じたら、自分が何を信じているのか、初心に戻るのです。
あらゆることが一歩一歩、少しずつ、前進していきます。
このプログラムは、誰にでもできるものではないことは確かでしょう。
でも私はこれに賭けてみたのです。
そして私たちには合ったものだと解りました。」
「アナ・ソフィアは、生後1歳8か月になるまでの間に、腹ばいをし,高ばいをし、歩き、笑い、しゃべり、読み、歌えるようになりました。
人の言うことはすべて、完全に理解できます。
何が欲しいか、何が好きか、自分で選択することができます。
医師やセラピストや友人の方々、とりわけ人間能力開発研究所のスタッフの方々のおかげで、私たちの人生に平和と静寂と希望が徐々に戻ってきました。」
「娘が生まれたその瞬間から私の人生は一変しました。
娘の人生を通して、私は一生学び続けるのです。
私が思っていたよりも娘はずっと先へ進むことができると確信した今、私は夜ぐっすりと眠れるようになりました。
娘は、賢く、自立した、明るい女性として成長し、娘と出会う機会を得た人々に、人生と愛について伝えていくことでしょう。」
「アナ・ソフィアの将来に対する否定的な予測を覆し、何もできない子どもとして育つことから救う機会を与えてくださった人間能力開発研究所のスタッフの方々に、心からの称賛と愛を送ります。」
お母さん子どもの将来への暗い予測を受け入れないという道を選びました。
お母さんが選んだ「あきらめないという道」は、お母さんと幼い娘の人生を大きく変えることになったのです。