両親と一緒に飛行機でフィラデルフィアへ行ったことを覚えています。
たしか1968年の2月か3月で、6歳になるころでした。
小さかった私の目には人間能力開発研究所の建物がとても大きく、圧倒されそうな気がしました。
研究所を訪問したのは全部で4回だったと記憶しています。
その後は家庭でプログラムを続けました。
パタニングは1年7か月おこないました。
腹ばい、高ばい、歩行もおこない、母がペンライトを使って目の訓練をしてくれたのを覚えています。
点と点を線で結んで幾何学的な形を描いたりしたことも記憶しています。
僅か3週間で、幼稚園で書いていた字がとても上手になりました。
それまでは文字を一行に書くことができませんでした。
ページのいちばん上から書き始めても、横に書き続けるのではなく、斜めに書いて、最後の文字はページの一番下になっていました。
自分の名前をBartと書くときもrを抜かしたりしていましたが、それもすぐに治りました。
失読症に加えて、脳の優勢側に混乱がありました。
右利きなのに目だけは左が優勢でした。
そのために身体を協調させて動くことが難しく、スポーツは苦手でした。 |