未熟児・発達遅滞 麗央くんのサクセス・ストーリー


明るい未来を手にした麗央くん

新年に着物と袴で正装

来客を歓迎する招き猫を手にしています

 

妊娠中にいろいろ問題が続き、妊娠6か月で麗央くんは帝王切開で生まれました。
出生時の体重は1キロで、チアノーゼ、黄疸、呼吸困難がありました

生まれてから1か月は呼吸器に入れられ、入院は3か月に及びました。
入院中は経管栄養でした。
心臓に障害があり、目の発達が遅れているので手術が必要と診断されました。

麗央くんが3か月になったころから、お母さんは視覚を刺激するために、赤色で大きく書いた文字を見せ始めました。
お母さんが「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受けたのは、麗央くんが2歳になったときでした

2歳半になった麗央くんは、まだ歩けませんでした。
震えがあり、筋力も不十分なので、手を使うこともできませんでした。
呼吸もうまくできず、睡眠も充分にとれず、排泄機能もきちんと発達していませんでした。
アレルギーが多く、消化にも問題があったので、お粥しか食べられないこともよくありました。
麗央くんが赤ちゃんだった頃、いずれ「脳性まひ」の状態になる可能性があるとご両親は医師から言われていました。

息子の将来を医師の予測よりも明るいものにすると、お母さんは決意しました。
そして家庭でプログラムを始めたのです。
触覚刺激のプログラムをおこない、麗央くんが摂取する栄養にも気をつけました。
読み百科事典的知識算数のプログラムをしながら、床で動く機会も最大限に与えました。
脳への働きかけを続けることで発達の速度が速まり、3歳で歩き始め、その6か月後には走り始めたのです。

ご両親は4歳になった麗央くんを連れて、初めて人間能力開発研究所を訪れました。
このころ麗央くんは奥行きを認識する視覚の能力が弱く、音に過敏なので外に出ると音に動揺してよく泣いていました。
同じ言葉を繰り返し、自分で服を着ることができませんでした。

プログラムを始めて1年後には、年齢レベル以上の本を読むようになりました。
ブレキエーションは独りでできるようになり、書くことができるようになり、服の着脱も独りでできるようになりました。

 

本の虫です

 

6歳になる前に、すでに書く能力は2年生レベルに達していました。
麗央くんの状態に合わせた栄養プログラムのおかげで、1年間全く病気をせず健康に過ごしました。
コミュニケーションがうまくとれるようになったことは、大きな収穫でした。
物事を最初から最後まできちんと話せるようになり、自発的に人と話をするようになりました。

6歳で部屋の隅から隅まで片足跳びで移動できるようになり、2キロメートルを途中休まずに走れるようになりました。
また読む物は中学生レベルとなり、コンピュータを使って調べものをして、文章にまとめることもできるようになりました。
その後3年間全く病気をしていません。

 

ピアノも習っています

発表会ではスタインウェイのピアノで演奏しました

 

ご家族と人間能力開発研究所スタッフは、集中プログラムを3年間おこなってきた麗央くんが、グラジュエーション・トゥー・ライフの段階に到達したと意見が一致しました。
このグラジュエーション・トゥー・ライフとは、プログラムをおこなっている子どもが、家庭から社会に出て、運動面、知性面、社会面で身につけた能力を駆使し、自分の居場所を得ていくための段階です。

現在麗央くんホームスクーリングで学び続けながら、毎日数時間だけ学校に行っています。
知性面、特に書く能力は、年齢レベルを大きく上回っています。
家庭では有機化学なども勉強しています。
合気道の練習に毎週通うだけでなく、伝統芸術である能と狂言も続けています。

 

 

集中プログラムをおこなっているご家族の前で狂言を披露

 

小学校三年生の時、地元の大学で科学のコースを受講する資格を得ました。

現在麗央くんは学校の勉強だけでなく、運動面でもすばらしい能力を発揮しています。

 

人間能力開発研究所スタッフ一同、麗央くんのグラジュエーション・トゥー・ライフを皆様にお知らせすることを誇りに思います。

ご両親は麗央くんの可能性を十分に開花させることを目指して、たゆまず努力を続けました。

麗央くんとご家族は、不可能と思われていたことを可能にしたのです。

 

 

大好きなご両親と一緒に