トリソミー21(ダウン症)皓生くんのサクセス・ストーリー


トリソミー21 vs 脳への働きかけ

遺伝子は変えられなくても人生は変えられる

 

陣痛が長引き、最終的には帝王切開での出産でした。
赤ちゃんはお乳を吸うことができず、生まれてから1週間は点滴で栄養を摂取しました。
検査の結果トリソミー21(ダウン症)であることが判明し、その後の発達はあまり思わしくないだろうと医師から告げられました。

 


お母さんは医師の言葉をそのまま受け取ることができませんでした。
皓生くんが1歳6か月になったときに「赤ちゃんに読みをどう教えるか」の本を読んだ後は、特にその気持ちが強くなりました。
そしてすぐに、皓生くんに読みを教え始めました。

皓生くんが2歳6か月になったとき、お母さんは神戸で開催されている「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースのことを知り、さっそく申し込みました。
皓生くんは運動面と言語面で、同年齢の子どもより遅れていました。
コースで我が子の脳障害が中度であると判断できたご両親は、家庭でどのような働きかけをしたらよいかを学びました。

お母さんとお父さんは、1年以上にわたって、コースで学んだことをすべて実行しました。
そして皓生くんの4歳の誕生日を目前にして、人間能力開発研究所を訪れることができました。

この最初の訪問で、皓生くんの理解力が年齢レベルであることを確認できました。
また、すでに家庭でおこなっていた読みの能力は3歳児レベルをはるかに超えていることも確認できました。
運動と言語も大幅に向上していて、300メートルをノンストップで走ることができ、文章を使って話し始めていました。
人間能力開発研究所スタッフは、皓生くんが家庭でおこなう集中的なプログラムを作成しました。

 

6歳になった皓生くんは、知性面でも運動面でも同年齢の子どもたちの先を行っていました。
図書館で好きな歴史の本を借りて読み、長距離のランニングもおこなっていました。

皓生くんは人間能力開発研究所のインタナショナルスクールに招かれました。
これは生まれたときから早期能力開発プログラムをおこなってきた健常児の子どもたちのための学校です。

 

インタナショナルスクールのバイアスロンに初めて参加し、他の子どもたちに混ざって自転車10キロ、ランニング5キロを完走しました。
スクールでは、上級レベルの数学、コンピュータサイエンス、英文学、ギリシャ語やラテン語の語源など、英語での授業をすべて楽しみました。

ヴァイオリンを始めたり、合衆国の最初の首都であるフィラデルフィアについての本を書いたりしました。
体操も得意になり、側転や倒立もできるようになりました。


留学生としてインタナショナルスクールに入り
生徒たちが演じるシェイクスピアの戯曲
「ヴェニスの商人」にも出演しました

スクールの年度末に、皓生くんは人間能力開発研究所の集中プログラムを卒業しました。
日本に帰って、私立学校の入学試験を受けて合格し、同年齢の子どもたちと一緒に学校に通うこととなりました。
学校ではたくさんの友人ができ、読みと書くことではクラスの上位にいて、学校生活を楽しみました。


皓生くんとご両親
フィラデルフィアで
グレン・ドーマンとともに

皓生くんは自分で選んだ高校の入試を受けて合格し、高校に進みました。
高校でも成功を積み重ね、とても楽しい3年間になりました。
その間漢字、英語、歴史などの検定試験にチャレンジし、次々と合格しました。

高校卒業を前にして、皓生くんは自分の行きたい大学の面接試験を受け、入学試験にも合格しました。
大学生となった皓生くんは、3歳のときから興味をもって学んでいた日本史の勉強を続けています。


高校生の皓生くん


入学試験に合格して
自分の希望する大学に入りました

皓生くんは来年の大学卒業を楽しみにしています。
大好きな分野に関連した仕事をする計画を立てています。
そして自分が小さいときに読みを教え始め、学校に入ってもすぐに能力を発揮できる土台をつくった賢明なお母さんに感謝しています。

皓生くん、本当によくがんばりました。
あなたが達成してきたことのひとつひとつが、私たち人間能力開発研究所のスタッフにとっての喜びでした。
しかし驚きではありませんでした。

皓生くんに敬意を表します。