分娩時外傷性障害 ピエールのサクセス・ストーリー


分娩時外傷性障害:

先日、南アフリカに住むお母さんから手紙が届きました。
私たちが会ったことのない息子さんが、人間能力開発研究所から大きな影響を受けた人生を送っているという内容でした。

ピエールという名の息子さんは、へその緒が首に巻きついた状態で生まれてきました。
最終的には帝王切開による出産でした。
赤ちゃんは無事に生まれてきたかに見えましたが、数時間後呼吸が止まり、発作を起こしました。

お母さんの手紙には「時間が経つにつれて、息子は生まれたときとは似ても似つかない姿になっていきました。左手は親指を中にして握りしめた状態になり、左足は歪み始めていました」と書いてありました。

 

生後6時間のピエール

 

2日後さまざまな検査がおこなわれ、大脳に大きな血栓が発見されました。
外傷性障害はかなり重度であったため、今後も発作を起こし、学習の問題を抱えながら、身体障害者として一生を過ごすことになると告げられました。
抗けいれん剤の投与もすぐに始まりました。

 

左手が歪んでいます

 

当時を振り返って、お母さんは、次のように書いています。
「息子を連れてアフリカの小さな田舎町の我が家に戻りましたが、息子にくだされた診断と、今後の暗い見通しで、行き所のない絶望的な気持ちでいました。」

「ある日、夫は人間能力開発研究所がおこなっていることについての話をジンバブエの友人から偶然聞いたのです。私たちはすぐに航空券の手配をして、フィラデルフィアへ飛びました。
脳に障害を受けた子どものために何かできることがあるのかどうか、ほとんど知識はありませんでしたが、奇跡を求めていたのです。」

「1994年の4月、1週間の〈あなたの脳障害児になにをしたらよいか〉のコースを受けて、我が家に戻ってきたとき、ピエールはまだ生後9か月でした。
私たちはすぐにコースで学んだあらゆることを実行しました。
床に置かれたピエールは、夜眠るときもうつ伏せで過ごすようになりました。
親類に手伝ってもらって、パタニングも始めました。
酸素量強化のプログラムにもちからを入れました。」

 

 

運動面の発達のためには、床で過ごす時間をたくさん与えることが何よりも重要であることをご両親は理解していました

 

「息子が初めて自力で腹ばいをして部屋から出て行ったとき、私たちはお祝いをしました。
その後もずっと息子は床の上で過ごすことになりました。
手とひざで体を支えてハイハイ(高ばい)ができるようになって、私たちはゲームを取り入れながら、1日に1.6キロ高ばいをすることを目指しました。
目が覚めているときは、あらゆる時間をプログラムに充てました。」

「歩けるようになったピエールには、長い距離を歩く機会をどんどん与えました。
ゲームをしながら1.6キロを歩けるようになるのに、それほど時間はかかりませんでした。」

 

上手に歩けるようになると、すぐに走り始めました。

 

「走るようにもなりました。ぶら下がりができるようになると、ブレキエーションを始めました。
2歳、3歳の子どもたちのなかで、ピエールほど健康な子どもはいないと確信できました。」

「他の子どもたちがごく自然により高い能力を身につけていくのを見て、焦りを感じたこともありました。
しかしピエールは自分でも頑張り、私たち親もそれを応援して、一歩一歩前進しながら困難を乗り越え、次のレベルに到達していきました。」

「4歳になるころには、ピエールの動きはほぼ正常に見えるところまでになりました。
5歳までには運動能力は同年齢の子どもたちに追いつき、6歳になると競技会で優勝するようになりました。」

 

競技会では、群を抜く存在になりました

 

「小学校での成績は常にクラスの上位10%に入っていました。
幼いころから読みと算数のプログラムをおこなったおかげだと思います。
学年では数少ない「読める子」の一人でした。
ピエールが赤ん坊の時に脳に大きな問題を抱えていたとわかる先生は、一人もいませんでした。」

「ピエールは成績優秀者上位10名に与えられる賞や、年間最優秀運動選手の賞など、勉強の面でも、運動の面でもたくさんの賞を手にしました。
全国レベルの第一ヴァイオリン奏者と、王立音楽学校に認められています。
合唱団で歌い、ヴァイオリンとピアノの演奏もします。」

 

トロフィーの棚に飾る賞がまた増えました

 

「男女を問わず同年齢の友人にとても人気があります。
みんなピエールに注目されたくて、周りに集まってきます。
小さいころからピエールはいじめられている子をかばったり、いざとなったら弱い者いじめをする子に力で立ち向かって押さえつけたりしたものだと、先生や友人は口をそろえて言います。」

「ピエールはラグビーチームのキャプテンです。
既往症があるので、私たちはラグビーのような激しい運動には反対したのですが、ピエールは聞き入れませんでした。
ピエールは立派にキャプテンを務め、これまで怪我したことはありません。」

 

 

 

ピエールは今、何でもできる多才な青年です。
やろうと決めたことに、優れた能力を発揮しています。
困難な人生を予告されていた子どもでした。
ピエールはそれを跳ね返して、奇跡を起こしたのです。