ヘイリーからの手紙
私の人生を変えた人間能力開発研究所のプログラムを振り返って
家族と友人のみなさんへ
私が脳障害を克服するためにちからを貸してくださった皆さんに、お礼の気持ちをお伝えするために手紙を書いています。
この二年で私は大きく成長し、今ではもう自分が脳障害であると思わなくなりました。
たとえば、左の足首がとても硬くゆがんでいたので、歩くことがとても大変でした。
歩くといつも左足がとても痛みました。
身体のバランスも悪かったのです。
いつも足の外側を地面につけて歩いていました。
左足を思うように使えなかったので、歩いたり、バランスをとったりするとき、左足を頼りにできないこともありました。
思うように動けませんでした
|
感覚もほとんどありませんでしたし、触られることも嫌でした。 母にピンで足をつつかれても、私は全く感じませんでした。
私は体操もしていました。
大好きでしたが、左足を使うのは大変でした。
何かやっても、いつも着地のときに横に傾いたり、転んだりしました。
左足がうまく使えないために、身体が傾いてしまうからです。
でも時間をかけて、ラウンドオフ・バックハンドスプリングを独りでできるようになり、私の左足に問題があったことに気付く人はもういません。
もう全く痛くないし、見た目も普通です。
体操が得意です
|
私自身は全く覚えていませんが、発作も多かったと聞いています。
発作は2週間に1度は起こり、発作を止める薬を数種類飲んでいました。
薬の副作用でいつも疲労感があり、吐き気もあって、何もできませんでした。
今はもう薬を飲んでいませんし、発作もありません。
薬を飲まなくなってから9年になります。
肝臓の状態はこれ以上よくなることはないとも言われましたが、最近の血液検査では、私の健康状態は完璧という結果が出ています。
音にも悩まされました。
部屋のなかで何か音が聞こえると、集中できなくなって困りました。
他の人には聞こえない音も聞こえてしまって、苦痛でした。
何かを読んでいるときに話しかけられると、もう一度最初から読み直さなければなりませんでした。
記憶力にも影響が出て、いらいらしたり、混乱したりしました。
もうその問題は全くありません。
今は私よりも母の方が音に過敏だと思うくらいです。
斜視のために読むことに苦労しました
|
読むことには苦労しましたし、小さな文字は読めませんでした。
普通の2倍くらいの大きさの文字でないと、単語も読み取れませんでした。
読んでいても、突然目がどこかに飛んでしまうのです。
読もうとしても、一つひとつの文章として読み取れないのです。
視線があちこちに飛んでしまうような感じでした。
視野のなかに見えない部分があったりもしました。
読んでいる部分の右側や左側が目に入らず、読む部分にしっかりと目を向けないと読み取れませんでした。
部分的に見えないところがいくつもあったため、よくつまずいたり転んだりもしました。
今は視覚もしっかりして、読むスピードが上がりました。
普通の大きさの文字を1分間に300語の速さで読んでいます。
斜視が直ったので、読むことに問題がなくなりました
|
私の人生は激変しました。
高校から大学までの課程を通信教育で学んでいます。
最初は遅れをとっていましたが、成績優秀者として同級生の生徒たちと一緒に高校を卒業します。
数学が好きです。
高校卒業後は、大学に進んで経営学を学ぶつもりです。
実は現在すでに自分でビジネスをしています。
以前は自分で創った鉤針編みのブランケットを売っていました。
ガールスカウトが作ったクッキーはこの数年で3000箱以上の売り上げがあり、その収益で母を連れてワシントンD.C.やフィラデルフィアへの旅行ができました。
今はビタミンを売るビジネスを始め、ウェブサイトも立ち上げました。
ヘイリーは今、多彩な才能を発揮しています
|
私は今あらゆる意味で普通の人物です。
車の運転もします。
自分の車でドライブを楽しんでいます。
毎週自分で運転して、ギターのレッスンにも通っています。
ギターは2年ほど前から始めました。
先日ひいおじいさんの追悼会のときに、ひいおじいさんが大好きだった「アメージング・グレース」を50人の参加者の前で演奏しました。
さらなる人生の冒険が始まります
|
私がプログラムに注いだ時間、エネルギー、努力は、それだけの価値があるといつも思ってきました。
私を助けてくださったすべての方々に、心から感謝します。
心を込めて
ヘイリー