発達障害 フミオくんの サクセス・ストーリー


誕生時の命の危機を乗り越えました

フミオくんとグレン・ドーマンは
会う前から何かの「絆」で
結ばれているようです

 

生まれたときフミオくんには生命維持のための基本的な反射反応がなく、命は長くないだろうと言われました。
お乳の吸い方も非常に弱く、うまく飲み込めなくて、生後3か月間は入院して経管栄養をしました。
呼吸をするのも大変で、子どもが普通にすることもなかなかできない小さな我が子をみて、ご両親は何とか助ける方法はないかと探しているうちに、人間能力開発研究所にたどりつきました。

人間能力開発研究所のことを知ったご両親は、フミオくんを連れて研究所を訪れることを決め、研究所スタッフによる機能評価を受けて、スタッフが作成したプログラムを家庭で集中的におこなうことになりました。

 

初めて人間能力開発研究所を
訪れたときのフミオくん

 

最初の機能評価の時点で、フミオくんは部屋の隅から隅まで転ばずに歩けませんでした。
話すことはできず、呼吸の機能に大きな問題を抱えていました。
ご両親は家庭で毎日集中的にプログラムをおこないました。
脳の神経編成を向上させるために、腹ばいや高ばいなどの運動プログラムも始めました。

新しいプログラムも加わりました

プログラムをするための健康を保ち、脳の生理的な環境を良くするための栄養のプログラムも始めました。
さらにご両親は、フミオくんに知的刺激をたくさん与える知性面のプログラムと教材の作り方を学びました。
これには、読むこと、書くこと、数学、百科事典的知識が含まれていました。
フミオくんはどれも大好きでした。

フミオくんのために開発されたプログラムは世界各地に広がっています

脳障害児にはよくあることですが、フミオくんも呼吸の機能に大きな問題を抱えていました。
呼吸がしっかりできないということは、脳の成長にとって必要十分な酸素が脳に供給されないことを意味します。
グレン・ドーマンとスタッフは、フミオくんの呼吸を向上させるための方法を探し求めました。
このように最初はフミオくんのために開発されたプログラムが、現在では世界各地の脳障害児の命を救うプログラムとなっています。

 

フミオくんとお姉さんたち
フミオくんのふくれたお腹は
呼吸が未熟であることのひとつの症状です

 

フミオくんは、新しいプログラムに取り組みました。
そして呼吸の機能が向上し、それによって生理面、知性面、運動面で進歩が見られました。
小さな少年は、生き、呼吸をし、正常な機能を発揮できるようになったのです。
フミオくんは5歳のときに、グレン・ドーマンに手紙を書きました。

 

新しいプログラムに取り組みました

 

手紙には、自分はもう卒業できると思うと書かれていました。
グレンとスタッフは再度フミオくんの機能を評価し、すべての機能が健常児レベルであると意見が一致し、家庭でのプログラムを卒業して同年齢の子どもたちと一緒に学校に行くことができると判断しました。

たった5歳でしたが、フミオくんは賢く、しっかりした考えを持っていました。
卒業にあたって、特別な望みがありました。
フィラデルフィアの人間能力開発研究所キャンパス内にあるエヴァン・トマス研究所のインタナショナルスクールに行きたいので許可してほしいとご両親とスタッフにお願いしたのです。

願いはかないました。

5歳になるころ、フミオくんは再びフィラデルフィアにやってきました。
この時は、学校に入るための全くのひとり旅でした。

5歳の子どもが学生ビザを申請し、発給されました。
当時のアメリカの国務省によれば、フミオくんはアメリカの学生ビザを取った最年少記録だとのことでした。
ビザを取得し、東京からフィラデルフィアまで一人で旅をして、インタナショナルスクールに入学しました。
英語は話せない、学校というものに行ったことがない、おまけにご両親のいる家庭からは8000マイルも離れていたのです。

私たちスタッフは、うまくいけば2か月か3か月は大丈夫だろうと思っていました。
ところがフミオくんは、留学生として入学したこの学校に3年もいたのです。

 

 

20世紀のもっともすぐれた教師の一人である
ビル・ジョーンツのもとでも学びました

 

 

フミオくんとクラスメートは
研究所の支援者のなかで
最も有名な女優
ライザ・ミネリを歓迎しました
子どもたちとライザは
互いに大好きになりました

 

エヴァン・トマス研究所で、フミオくんは誰とでも仲良くして、それぞれの生徒の家にホームステイしさらに交流を深めました。
クラスメートは人間能力開発研究所の健常児のためのプログラムで育てられた子どもたちで、フミオくんと同じように、早くから読んだり、書いたり、数学を学んだりしてきました。

 

燕尾服とキモノ
研究所で毎年おこなわれる
アデール・デイヴィス舞踏会

 

脳障害児のためのチルドレン・センターの建物はエヴァン・トマス研究所のすぐ近くです。
しかしその間はとても長い道のりでもあります。
フミオくんを含むたくさんの子どもたちが、この旅の最終目的地に到達したのです。
健常へと向かうその道は、自ら踏み固めて開拓した道なのです。

 

フミオくんは運動も得意でした
ロープもてっぺんまで登れます

 

エヴァン・トマス研究所で素晴らしい時を過ごして帰国し、さらに学校生活を続けました。
大学卒業後は、お父さんと同様エンジニアになりました。
自分自身素晴らしい人生を築き、結婚して二人の子どもの父親になりました。
男の子と女の子がいます。
グレン・ドーマンは、子どもたちは親の肩の上に立って、そこから進んでいくべきだと言っていましたが、フミオさんは自らの子どもたちにも同じことを願っています。

 

フミオさんと娘さん

 

フミオさんは2012年に、グレン・ドーマンの93歳の誕生日を祝うためにフィラデルフィアに帰ってきました。
グレンとフミオさんの再会です。

 

グレンの93歳の誕生日を祝うフミオさんとご両親
フミオさんは自分の息子と娘を
初めてグレンに紹介しました

 

フミオさん一家、ご両親との別れの日
ジャネット・ドーマン、スーザン・エイセン
ケイティー・ドーマンが見送ります
フィラデルフィアの「家庭」を後にして
日本の家庭に帰ります
でもこれは終わりではありません
フミオさんと素晴らしいご家族の新たな出発です