この話は、人間能力開発研究所の集中プログラムをおこなったジョシュアのお姉さんのアリアナが書いたものです。
12歳のアリアナは弟のプログラムチームの重要なメンバーで、脳障害児にとって家族が解決策であることを証明してくれました。
私の名前はアリアナです。
弟のジョシュアが健常へと向かう旅について、お話しする機会をいただいたことに心から感謝します。
9年前、2歳の私は初めての兄弟となるジョシュアの誕生を待っていました。
ジョシュアは生まれたとき自分で呼吸をしていませんでした。
看護師さんたちが心肺蘇生をしてくれました。
生まれたばかりのジョシュアは 自発呼吸ができませんでした |
数日後家に帰ってきたジョシュアは、見たところは特に問題はなさそうでしたが、眠ってばかりいました。
ミルクもほとんど飲まず、ほとんど泣かず、普通の赤ちゃんとはかなり違っていました。
ミルクを飲むはずの時間になっても眠ってばかりいましたし、体が黄色くなってきました。
病院で1か月にわたって体に負担のかかる検査を受けましたが、ジョシュアの状態や呼吸がうまくできないことへの答えは見つかりませんでした。
最終的に、ジョシュアには22番目の染色体に問題のあるフィラン・マクダーミッド症候群という珍しい遺伝子異常であることがわかりました。
The comparison of a normal chromosome 22 and chromosome 22q13. The tip of the chromosome is missing. |
研究者によれば、この診断をくだされた子どもには、数多くの問題があるとのことです。
「この子は歩いたり話したりできるようにはならないだろうし、自立して生活したり、友人をつくったりすることもできないだろう」という医師の言葉に、両親は驚きました。
「施設に入れて、今後の人生を送るのがよい」と言われたそうです。
もちろん父も母もその言葉を受け入れず、ジョシュアを助ける希望の道を探し始めました。
ジョシュアが4か月になったとき、父と母は人間能力開発研究所のことを知り、「親こそ最良の医師」を読みました。
書かれていることに納得がいき、母は読みながら泣いたそうです。
言葉の一つひとつから、希望と可能性が伝わってきたのです。
3か月後両親は「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」コースを受講し、多くのことを学びました。
なかでも「脳は使うことで成長する」と学んだことは最も重要だと感じました。
床の上で自由に動けるようになりました |
食事のとき以外は、私たちは家族全員床で過ごすことにしました。
ジョシュアも床で腹ばいをしているうちに、手とひざで体を支えて高ばいをし始めました。
高ばいができるようになりました |
高ばいから歩けるようになり、その後走れるようになりました。
ジョシュアが運動面の能力を発達させる道のりは喜びに満ちていました。
もう自由に動けるのです。
ジョシュアにとってほんとうに楽しい時期でした。
運動面の発達が遅れていたジョシュアのために、まずパターニングのプログラムを始めました。
パターニングというのは、「動くというのはこういう感覚なのだよ」というメッセージを脳に送って学ばせるプログラムです。
私たちは意識せずに脚と腕を交互に動かして、交差パターンで歩いています。
パターニングは、体の動かし方についてのメッセージを、何度も繰り返して脳に送り続けます。
毎日毎日朝から晩まで、友人や親類が私たちの家にやってきてパターニングを手伝ってくれました。
最初のころ私はパターニングを手伝うには小さすぎたので、ボランティアの人たちが上手になるまでの練習台になりました。
チームに参加できるのは楽しいことでしたし、これで弟がよくなるのに役立っていると思いました。
家庭でパターニングをしているところ |
筋肉に力が入らなくて、ジョシュアは自分の体重を支えることができませんでした。
体を垂直して立つのを助ける器具を使って、ジョシュアは少しずつ自分で立っていられるようになり、日を追って脚がしっかりしてきました。
頭上梯子で行ったり来たり、行ったり来たり、行ったり来たり、そうしたら・・・
頭上梯子を使って歩く練習をします |
・・・生まれて初めて自力で歩くことができました。
2歳半の時でした。
そしてどこでも歩けるようになりました |
読みを学んだ最初のころは、私もジョシュアも手作りの本を読んでいました。
ジョシュアの最初の本は「農場の生活」です。
私が大好きだったのは「私の小さなポニー」という本でした。
私は弟に読み聞かせるのが大好きでした。
赤ちゃんのジョシュアに 本を読んであげるアリアナ |
よく頑張った日は、ご褒美としてその日に読む新しい本を自分で選ぶことができました。
とても難しい本を読み、なかには歴史小説、シェイクスピアの有名な戯曲、数学理論なども入っていました。
今は、DVDで大学教授が教える解剖学と生理学を学んでいます。
ジョシュアはいつも、次の段階の成功をめざして頑張ってきました。
ジョシュアは、3歳のとき文字盤を使って「神様は自分が人を治す仕事をすることを望んでいらっしゃる」と言いました。
大きくなったら、障害のある子どもを助けたいと言っています。
その望みはきっと叶うでしょう。
生まれた時から、ジョシュアはほんとうにたくさんの山を越えてきました。
人間能力開発研究所の集中プログラムがなかったなら、山を越えることはできなかったでしょう。
体の機能を適切に発揮できるようにするための働きかけがなかったら、ジョシュアの体は、動ける人間としての構造をもつことはなかったでしょう。
知性面の能力を伸ばす機会を与えられなかったら、脳は成長しなかったでしょう。
様々な働きをする酸素が脳に充分に送られなかったら、言葉を発することもなかったでしょう。
一晩中目を覚まさずに眠れるようになりました。
ほんの少し手伝えば、自分で食事ができるようになりました。
身の回りのことはできるようにはならないと言われた子どもです。
ジョシュアは速読ができ、暗算も得意です。
問題解決の能力もあり、ヴァイオリンの曲が大好きです。
6歳になるころには、1日3.2キロ歩けるようになっていました。
何をするにもしっかりと計画して、ジョシュアは成功を積み重ねました。
健常へと向かうジョシュアの旅は、わくわくするものでした。
歩けるようにはならないと言われていたジョシュアが、これだけの距離を歩いているのです。
お父さんと一緒にランニング |
現在ジョシュアは4キロを27分で走ります。
かつては歩行練習のために使っていた頭上梯子の高さをあげて、補助つきでブレキエーションをしています。
ジョシュアはとても賢く、さらに大きなことを成し遂げる可能性のある少年になりました。
水泳も始めました。
姉の私には、静かに人の話を聞くようにとアドバイスしてくれます。
家族や友人に支えられているジョシュアは、もうすぐ健常児になれる可能性を秘めています。
ちからを貸してくれる人々と希望があれば、不可能なことはありません。
障害のある子どもは、自分を治し、人のことも治すことができるのです。
ジョシュアはきっとそういう人間になるでしょう。
つかまえた! 手を離しちゃだめよ、ジョッシュ |