発達障害 ディエゴのサクセス・ストーリー


8年間何の変化もなかったのに、わずか5か月で変化を見せた息子について、お母さんが語ります。

 

 

 

息子には何か問題があると心の底では思っていました。
ディエゴが2歳になる前、私は「この子はなぜ言葉を発しないのだろう」と自問し始めました。
この時ディエゴは 「イー」という音を発するだけだったのです。
話すことのできない息子のための答えを求め、あらゆることを調べ、さまざまな療法を受けさせ始めたのはこのころでした。

最初のうちは誰も私の言うことに耳を貸してくれませんでした。
かかりつけの小児科医はいつも「男の子は女の子より成長に時間がかかるものなんですよ」と言いました。(ディエゴの姉は1歳のときにはすでに話をしていましたから。)
さらに医師は「ディエゴは正常だと思いますよ。でもお母さんが何かおかしいと思っているなら、必要なことをすべておこなって確認しましょう」と言いました。
そうするうちに私の直感が正しかったことがわかりました。

 

1歳のころ

 

ディエゴは歩けませんでしたし、一言も話しませんでした。
高ばいもせず、腹ばいは前進ではなく、後ろへ動いていました。

残念なことに、どこへ行ってもこれといった診断が下されませんでした。
ディエゴの発達が思わしくないことはだれの目にも明らかだったのに、なぜそうなのか、何かできることはあるのかは、だれにもわからなかったのです。
ディエゴのような子は「グレイ・チルドレン」(グレイゾーンの子ども)、つまり診断できる特定の症状にあてはまらない子どもだという医師もいました。

 

 

 

 

2歳のころ

 

歩けるようにはなっていましたが、腹ばいをしたのは2~3週間だけで、それも前に進むことはありませんでした。
このころディエゴが発していたのは「イー」という音声ひとつだけでした。

言語の専門家からは、ディエゴはクラスの子どもたちの真似をして話せるようになるかもしれないので、幼稚園のような集団生活に入ることを勧められました。

 

 

 

 

4歳のころ

2年間でいくつかの幼稚園に通いました。
モンテッソリ、一般的な園や、運動面に力を入れるところなど、教育方法は様々でした。
同時にあらゆる種類のセラピーもおこないました。
しかしディエゴの言語は赤ちゃんレベルとも言えないくらいで、ごく単純なことさえ学び取れませんでした。
記憶するのは苦手で、動きもぎこちなく、しょっちゅう転び、歩けば必ずドアや壁や家具にぶつかりました。

 

 

 

 

6歳のころ

 

幼稚園や学校を次々と変えて、ディエゴは6校目に入りました。
読み書きはできず、話す言葉は不完全で、片足跳びはできませんでした。

ある専門家からは、何をしてもディエゴが健常になることはないのだから、他の子と同じようになることは考えないほうがいいし、他の子どもたちのいじめの対象になるだけだと言われました。
IQは低いまま変わらないだろうとも言われました。

 

 

 

8歳のころ

 

私たちは「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講しました。
このコースで学んだことのなかで最も重要だったのは、まず、ディエゴは脳障害であると理解できたことでした。
さらに、脳障害は治療可能であること、適切な強度と頻度と継続度で働きかければ、ディエゴは普通の子になる可能性があること、場合によってはそれ以上になることもあり得ることがわかったのです。

そしてディエゴは、初めて人間能力開発研究所を訪れました。
機能評価の結果、脳の発達年齢は2歳9か月と算定されました。
一刻も無駄にはできない、このプログラムをやると決めました。

 

それから5か月

 

再び人間能力開発研究所を訪れました。

 

  • 体重は5キロ以上も減っていました。
  • 腹ばい1600メートル、高ばい600メートルを毎日おこなっています。
  • ブレキエーションを4往復、独りでできます。
  • 片足跳びを何回も続けてできます。
  • どこで覚えたのか、毎日のように新しい複雑な構文を使って話し、私たちを驚かせます。
  • 読んだり書いたりできるようになってきました。
  • 一回練習しただけで、補助輪なしで自転車に乗れるようになりました。

 

 

 

 

もう誰にもいじめられることはありません。
ディエゴは生まれて初めて自信がついたのです。
機能評価の結果、このプログラムを始めてからの5か月間で、ディエゴの脳の発達年齢は2歳1か月ぶん進んだことがわかりました。

この先はまだ長いですが、私たちはついにゴールへとたどり着く道を見つけたのです。

プログラムを始めて最初の5か月間でディエゴは大きく進歩しました。
私たちが無理だと思っていたことも含めて、息子が望むことは何でも手に入ることがわかりました。
簡単なことではないでしょうが、息子には明るい未来が待っているのです。