アリカーンはチャーミングで賢くて
やんちゃな少年です
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難産の末、アリカーンは未熟児で生まれました。
重症度がグレード3の脳室内出血があり、すぐに酸素吸入が始まり、保育器に入れられて、モニター装置が装着されました。
生まれて間もなく発作を起こし、抗けいれん剤の投与が始まりました。
アリカーンには脳障害があるため予後はわからないという診断でした。
歩くことも、話すことも、他の子どもより遅れていました
身体の右側が硬直していたため、歩き始めても、上手には歩けませんでした。
言語は年齢レベルから大幅に遅れていました。
ご両親が人間能力開発研究所のことを知ったのは、アリカーンが3歳になろうとしていたときでした。
歩き方はぎこちなく、他の子どもたちのようにジャンプしたり走ったりすることができず、話せるのは数語だけでした。
右手を使うことは、ほんの少ししかできませんでした。
身体の右側が硬直していたので
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「あなたの脳障害児になにをしたらよいか」のコースを受講したご両親は、出来るだけ早くプログラムを始めたいと思い、すぐにアリカーンを連れて人間能力開発研究所を訪れました。
歩くことにちからを入れ、さらに走れるようになることを目指しました。
息子にはできる限り身体によいものを食べさせようと、ご両親は栄養のプログラムをしっかりとおこないました。
乳製品やグルテンを含む物を食生活から除去し、調理に砂糖や塩を使わないことにしました。
また、出来るだけ早く読めるようになるために、読みのプログラムを教え始めました。
ぶら下がりは手を使う機能を
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身体の右側を使う機能が向上し、歩き方も改善され、右手も前より上手に使えるようになりました。
上手に歩けるようになったことは、走れるようになる重要な要素でした。
運動面でも、知性面でも、アリカーンの能力は向上しました
走れるようになりました。
最初はほんの短い距離だけでしたが、スタミナがつき、スピードも上がってきました。
走れるようになったアリカーンは、走ることが本当に楽しくて、走る距離もノンストップで数百メートルにまで増えていきました。
呼吸が改善すると言語の能力も向上し、数語しか話せなかったところから、ほぼ2000語にまで言葉が増え、文章での日常会話ができるようになりました。
自分の考えや、必要としていることを表現できるようになったアリカーンは、さらに朗らかな、自信をもった少年になりました。
右手の機能も少しずつ改善しています。
今ではボトルのふたを回して開ける、閉める、水を注ぐなど、両手を使う作業もたくさんできるようになりました。
人差し指と親指を使って、ごく小さなものもつまめます。
高度な内容の本をたくさん読んでいます
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アリカーンは読書が大好きです。
まだ8歳になっていませんが、中高生レベルの本を読んでいて、年齢以上の幅広い知識を身につけています。
ここまできたのは、ご両親が内容の豊かな知性のプログラムをしたおかげです。
アリカーンは健常への道を自ら切り開いています
お母さん、お父さん、お兄さんと
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息子を助けるために力を尽くしてきたご両親がいなかったら、アリカーンはここまでの成功を収められなかったでしょう。
穏やかな戦士として、これまで長い道のりを歩んできました。
彼の戦いはまだ終わりではありません。
日々自らの戦いを続け、健常への道を歩んでいます。
進め!穏やかな革命の戦士アリカーン。
私たちがついていますよ!
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